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昭和40年12月8日大阪感謝祭でのお諭し

昭和40年12月8日大阪感謝祭でのお諭し

昭和40年12月8日大阪感謝祭でのお諭し
(編集項目:ブログ者記)
1 一人のお婆さんの体験談
2 子宮癌の若い奥さんの話
3 神通力を発揮する方法




1 一人のお婆さんの体験談

孫が75日ほども一言も喋らず意識不明のままでした。
脳膜炎で気付いたときは手遅れのような状態でみんなだめやと言いますし、頂きましたご神示でも、『海のものとも山のものともいえません。
これはもう奇跡より他にない。』とのこと、
本当に長いこと脳膜炎に冒されていれば、もう助かったとしても普通では済みません。
そこで私は辯才天様に、助かるなら害なしで助けてください。
半身不随みたいになって、植物人間とか脳性麻痺のようなことで生きてゆくのであればこのまま引き取ってやってください、と一心に祈った。」
そうしたところがこのお祈りの甲斐あってか、家の人みんなが熱心に、それこそ一心不乱に祈ったお陰でしょうか。
そのお子さん、70いく日も意識がない、鼻から食物を入れて食べさしても喉を通さなかったと言いますのに、日に日によくなって今、歌を歌うようになった。
脳になんの障害もない。
おかげやおかげやと泣き泣き話されました。このごときを神通力』と言わずしてなんというのでしょうか。
この世の中に、こんなにか科学が進んだ世の中でも。
奇跡というものはあるのです。

2 子宮癌の若い奥さんの話

この人は37才かそこらの若さですけれど、お腹を全部断ち割って手術したけれどもう子宮まで癌が広がっていてどうにも手がつけられなかった。
仕方なくそのまま縫ってしまわれたということです。
かわいそうに37やそこらでと私(お宗祖様)は思いました。
それは本当に気の毒で、まだ本人には打ち明けていませんが、私も疲れている身体で一生懸命お百度を踏ませてもらいました。
『確かに治る。』というお指図がどうしていただけませんので、一生懸命しましたよ。
私も(お宗祖様)。
しかしね、やはり本人です。
そのご家族なんです。
最後はね。
と言いますのは誰でも、治るものなら助かりたい。
そこにわずかでも希望がもてたら、助かる見込みがあるなら「すがりたい」という気持ちは同じなんではないでしょうか。
ここなのです。
信仰があるかないかの違いは。
ましてお医者様が手をつけられずに縫ってしまわれたような状態ですもの。
がる気持ちは一層です。
御神示は、たった一回受けられただけでした。
決していいお指図ではなかったのです。
しかし、この方はそんな御神示であってもお指図の薬を貼り続け、かぶれ症であるにもかかわらず一生懸命辛抱されたそうでございます。
そうしてしばらくすると杯に2杯ほどの重湯が飲めるようになったかと思うと、翌日には3杯になり、また次の日には4杯になってだんだん食が太り、後はもう家中こぞってのお祈りによって助けられた。
今ではもう信じられないおかげを頂いたと言うことでございます。

3 神通力を発揮する方法

こんな話ばかりいたしましておりますと「それじゃ全部が全部、そんな奇跡で癌が助かるのか」というとそうではない。
少しでも疑う気持ちがあったり、家族全員の信仰がなかったら駄目です。
一家そろっての信仰ができるのであったら、本当にそのことを思いこみ、心を合わせて祈るのであったら、辯才天様のこんな奇跡をいただけるということなんです。
私の話やなんのために体験談を発表してもらっているのか分かればどうぞ、しっかり自分お祈りで大辯才天様のお徳をいただいてください。
一生懸命祈ればその傍らにあって守護する、「わが名を聞かんもの、我ありと知らんもの」その傍らにあっていつも守護しますというあの礼拝経をみなさん、お忘れになってはいけませんね。
信じなければ絶対にいけません。
信じたら助かります。
初めての信者さんは仕方がないですが、「にわか祈り」は駄目ですよ。
(平素から(如意寺等に)お参りもし、ご分身をお祀りすれば毎日のお給仕を欠かさず、感謝のお供えと清掃をしっかりして、ご本尊様に感謝して礼拝教を信じ一生懸命お祈りをする。)
どうぞね、「これだけ祈っているのに、本当に届くんかいな」という疑いはごめんこうむります。
一生懸命のお祈りを込められまして、こんな有り難い大辯才天様御利益を頂かないという人はおかしいですね。
本当に誰でも神通力はある。宗祖様だけだと思ってはならないこと。
誰でもがその力はありますよ。
ただ『一生懸命さがたりない』ということだけなんです。