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昭和38年4月9日お運び席でのお諭し

昭和38年4月9日お運び席でのお諭しから

(編集項目:ブログ者記)
1 嫁の不足をいう奥さん
2 両親を早くなくした嫁
3 嫁をほめる奥さん
4 こちらが仏(低い)の心だから相手も仏心
5 すべての悩みの種はこれだ。
6 心を浄化して(懺悔して改心し)神様にすがる。
7 因縁も取れます。間違いないことです。





1 嫁の不足をいう奥さん

昨夜の感謝祭でも少しお話ししましたように、「家の嫁、この頃とっても変わりました」と、大変喜んでおいでになる方があります。
ところがこの奥さんの4年前といったらどんなだったか。
「大事に大事に育ててきた息子ですのに、えらいことをしてくれました。
勝手に好きなこと一緒になってしまい『お母さん子供ができたから帰ってくるから』と、
家を飛び出す始末。
どうしたらいいのやら」と、お参りするたびに、それはも嘆いておいでだったのです。
やがて子供ができ、息子さんは言葉通り帰ってきて同居することになったものの、そうなればなったで嫁のすることなすことひとつひとつを指摘して、「こんな嫁だ。あんな嫁だ」と口を開けば不足ばかり。

2 両親を早くなくし苦労した嫁

あんまりそんな不足を聞かされるものですから、
私も「けど奥さん、その嫁さんの仕草を聞いていると、親に早く死に別れたのと違いますか」といいますと
「そうです。母親は5つの時に、父親は11の時に死に別れて遠縁を頼って育ってきたらしいのです」
「そうでしょう。親の愛情を知らずに育った人ですもの、お母さん、ある意味ではそれが当然かも知れません」といってあげたことがありました。
この奥さんがある日風邪を引いて寝ていた時のこと。
ここでいただいて帰られた白桃の花やなんかを飲むと汗がたっぷり出たのは良かったのですが、お嫁さんにいって肌着を着替えさせてもらいますと、
その脱いだ肌着を何時までも部屋の片隅に丸めたままにしているのだそうです。
「それを洗ってくるように頼んだところ、
臭いをかいで、『臭い』といって洗ってくれませんのです。
臭いから洗って欲しいと頼んでいるのに」と。
これ一つ聞いただけでもう皆さん、そのお嫁さんがどんな人か分かるでしょう。

3 嫁をほめる奥さん

それなのに今、その奥さんは「家の嫁が変わった」と喜んでいるのです。
それは何故なのでしょうか。
何も特別なご神示があったわけではありません。
ここにお参りしている内に、そしてこれだけはお願いしたことですけれど、お運びを聞かれて、色んな話を来ているうちに、その奥さんがね、
『皆さん苦労されているな。ご宗祖さんも大変だったんだな。
それに比べて私の悩みなんて遠く及ばないと思った』っていうんです。
そうですから、お話を聞けば聞くほど、帰るたびにお嫁さんを見る目が違っていますから、
嫁さんの方は少しも変わっていないのですが、親が変わってくるから
「いい嫁になった」とこうなる。
箸の上げ下ろしのことまで、あげつらって「つまらない嫁をもらった」と頭ごなしに決めつけてしまうようなことは、それは見下げているということです。
その見る目が違ってくるのですから嫁さんも「お母さんが温かくなってきた…。
ああ私が悪かった。
お母さんていい人なんだわ」と家庭が和やかになる………。
そこが信仰なのです。

4 こちらが仏(低い)の心だから相手も仏心

「お母さん済みませんというようになりました。
嫁がたいへん変わりました」といいますから
「そうでない。あんたがお運びして、あなた自身が変わったのですよ」と、こう申し上げたようなことでしたが、やはり相手に仏心を出させようと思えば、こちらが仏の心をもっていかなけりゃ、向こうは仏になりません。
信仰する。
御利益をいただく、ということの第1歩は、実はここから始まるのであって、自分の考え方、見方、物の受け取りようというたものを素直に弁天様の御心に照らしてみることが大事。
ひがみ心や人を見に下げたような考え方では、絶対に幸せはまいりませんね。

5 すべての悩みの種はこれだ。

これは嫁と姑の間だけの問題じゃないのです。
全国どこへ行っても「すべて悩みの種はこれだ」といって過言ではありません。
せっぱ詰まった体験談ではないだけに、皆さんには頼りなく思われるかも知れませんけれど、信心の道はというものは、聞かなかったら分かるものですか。
聞かしてもらわねばいけません。というのがそれなのです。
「あなたお運びしたお陰でたすかるよ。
まあ見ていてご覧なさい」っていってたら、
やはりお医者さんに見放されたような病人が助かっておいでになる人幾らでもある。
それが、運ぶ心もなければ、話を聞くのもいや。
ただお百度を踏んで、朝参りしたり、日参したりしてそれで救われるかといったら大間違いです。

6 心を浄化して(懺悔して改心し)神様にすがる。

その気持ちが弁天様に通じているか、ということです。
先ず心の浄化をして、心の洗濯をして、それから弁天様に接してくださるのであれば、どんなご指示も頂けるでしょう。神様は美しいものです。
弁天さまは何の曇りもない美しいお方です。
この曇りのない神様が、濁りのある皆様にお陰をくださるかどうかということのなるのです。
まあ人間ですから、大なり小なり曇りもあれば濁りもあります。
あってもそのうちにお運びのお話を聞いていれば、濁るあとから清まっていきます。
「ああこう考えていたけど悪かった。ほんとうに私が悪かった」という心。
これほどきれいなものはありません。

7 因縁も取れます。間違いないことです。

過ちを改むるにはばかることなかれ。
昔からこんなに言われていますとおり、心の底から謝り、改める。これで初めて浄化するのです。
因縁も取れて行くのです。それはもう間違いのないことです。
そうですからね、お運びしてくださる皆様のお顔を、次々と見ると安心と喜びでいっぱいでございます。
どうか皆さんね。
何のためにお運びしたのかっていうような甲斐のないお運びにならないように。
有意義に、商売も繁盛させてもらい。家庭も円満に行くようにね。
皆さんどうぞ私と一緒に深く信仰していきましょう。