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18年水の章11講法話NO1

18年9月2日(土) 水の章11講NO1 小竹祥善講師
法話
(編集項目:ブログ者記)
1 慈悲
2 気長く素直に連れて流れ、洗い清めずば止まらざるなり。これが慈悲なり神心なり。(22)
1) 気長く素直
2) 般若心経
3) 素直
4) 原健三郎先生(故衆議院議員)の奥さんにこんなことを習いました。
5) 洗い清めずば止まらない
6) 淡路大震災の話
7) 神戸長田区の設計士さんの話
8) 和歌山県紀南教会の千巻経
9) 慈悲は自分の意志であると思ってください
NO2
3 水は三尺流るれば元の清水に戻る。いかなるものをも清らかに仕上ぐるが水の慈悲心なり。(23)
1)水の慈悲心
2) 慈悲心には相手を救う力があります。
3) 相手も救われる関係にするには
4) この項のまとめ
5) 法灯明、自灯明
6) ご本尊様の心を自分心とする
4 気に入らずと押し返せば流れ切れるなり。寄り添い寄り添うてこそ流れは切れず。これが慈悲なり、愍みなり。(24)
1) 押し返さない作家の三浦綾子さん
2) 出来事が起きたらどう捉えるか
3) ご本尊様お宗祖さまに救われる信仰の生活
4) 気に入らずと押し返せば流れ切れるなり
5) 寄り添い寄り添うてこそ流れは切れず
6) 5~6年前の東京での話 ご婦人の病気
7) 別な寄り添う方法
8) 私達の寄り添う方との違うやり方の実践




1 慈悲

慈悲心とは、優しい心、思いやりの心、自分のこと以上に相手のことを気にする心を慈悲として学ばしてもらっています。
ハワイの挨拶は、アロハです。アロハは水の心ですよ。辯天さんの心ですね。
アロとは、向き合うという意味で、ハとは、生命を吹き込むという意味です。
アロハという言葉をはくことは、こんにちはよりもっと深い意味があるようです。
2人が出会えたというご縁を通じて相手に何をしようか、自分のエネルギーを相手に出そうという意味合いのようです。
こんにちはにも、アロハと同じ深い意味合いを持って相手に挨拶することは大事なことではないかと思います。
同様に、慈悲の言葉にも、色んな面があるまたは含んでいるのだということを学ばしてもらうのが、今日の3つの言葉です。
○ 気長く素直に連れて流れ、洗い清めずば止まらざるなり。これが慈悲なり神心なり。(22)
○ 水は三尺流るれば元の清水に戻る。いかなるものをも清らかに仕上ぐるが水の慈悲心なり。(23)
○ 気に入らずと押し返せば流れ切れるなり。寄り添い寄り添うてこそ流れは切れず。これが慈悲なり、愍みなり。(24)

2 気長く素直に連れて流れ、洗い清めずば止まらざるなり。これが慈悲なり神心なり。(22)
1) 気長く素直

気長く、素直がポイントです。
気長くとは、時間をかけるとか時間がかかるといった長い時間をかけて行くことをいっています。
人の痛みや苦しみを取ろうと思ったら、時間がかかるものなのだということで気長くになります。

2) 般若心経

般若心経はインドのお経で古代インドのサンスクリット語で書かれています。
玄奘三蔵がインドから持って帰り、約2000人の学僧をつかって組織的に訳していったそうです。
訳した般若心経には世界で8種類あるといわれています。
私達の使っているのは玄奘三蔵の訳したものです。
理由は玄奘三蔵は、サンスクリット語にない「一切」という用語を入れて訳したからです。
他の訳にはありません。中国の国は、中華思想があるからでしょうか、インドのお経を訳し終わるとインド語のお経を棄てています。
それで、インド語で書かれた般若心経は一冊もないそうです。
しかし、日本にはインド語の般若心経が残っているのです。
般若心経が訳されたから1500年経っています。
凄い時間が経っています。時間をかけてもかわらないものなのです。
この様に時間の経過を通してもかわらないもの、そういうところに私達は価値を見つけることができます。
気長くとは、時間をかけてもズーとかわらない心遣いができるかどうかということが入っています。私達の心は時間が経ってくるとだんだん心が萎えてきます。
それを、気長く持ち続けることは、凄く難しいことなのです。

3) 素直

素直ということは、相手に合わせることです。それは自分が変化することになります。
10日が決まっていたものが相手が15日が良いというので、15日に変更するのと同じです。
相手に併せて自分が変化しています。
素直とは、相手の身になって考えたり行動したりすることです。
これは簡単ですが日付けの変更のようにはゆかず難しことです。

4) 原健三郎先生(故衆議院議員)の奥さんにこんなことを習いました。

目の不自由な方々の施設の園長をやっていた時の話です。
暑い日に、今日は暑いけど園の前に大分草が生えてきたので草を抜こうと思う。
今は日中で暑いから夕方の涼しいときにひこうと思うのです。
みんな協力して欲しいと言った。園に入居している一人の方が、園長それなら夜やりましょう。
夕方はまだ暑いですよ。夜は涼しいですといいました。
園長が夜になったら草が見えないではないかといいました。
私らの目はいつも見えませんと帰ってきました。
20年そこで目の不自由な方々をお世話していても、判っていなかったのです。
相手の身になることは難しいことですねといわれました。
素直とは自分が変化するといいましたが、その奥にある相手の身になって考えたり行動する位置までいったときに素直というのだろうなあと思いました。
エ 気長くと素直2つを合わせたとき必要なもの
気長くと素直2つを合わせたときに慈悲に必要なものは、私は意志だと思います。
慈悲は意志です。意志的形成力ということは、「行(ぎょう)」ということになります。行という言葉を辞書で引きますと意志的形成力という言葉が出てきます。
何かをしようとすることです。
ですから、お百度を踏む、お運びをする、勤行をするとするだけではなく心を意志を動かす力があるのですね。

5) 洗い清めずば止まらない

ここにも意志がでてきます。
洗い清めずば止まらないとは救われないうちは、きれいにならなければ辞めないという意志を持った慈悲です。
もっといいますと必ず救う、救われるはずであるという意志です。
ですから先ほどから意志意志と申しますが私は慈悲には意志が付きものであると思っています。
一緒に流れていって救わせるまでは一緒に流れて行くぞ、必ず救われるぞ、必ず救うぞ、救ってみせるぞというふうな心の一面である意志です。
そういう心が相手の身になり考えることや行動できるであると思っています。
ではこの意志の源は何でしょうか。やり遂げるエネルギーなり力は何でしょうか。

6) 淡路大震災の話

もう10年以上前に阪神淡路大震災がありました。
6000何人が亡くなりました。
アメリカでハリケーンの被害報道がありますが、その中にコンビニストアに進入し品物を略奪する報道に接しました。
写す方も写す方ですが撮られながら略奪する方がいました。
日本では考えられないことですね。
淡路大震災では一切略奪行為はありませんでした。
日本は略奪のないすばらしい民族です
。被害にあって困っていから、逃げている方の家を土足で踏みにじり、品物を略奪することをしない民族です。

7) 神戸長田区の設計士さんの話

長田区では、震災前に長田区内の商店街で、商店街そのものを建て替えることになったのです。
依頼した設計の方が来て建て替えについて説明している中で、商店街の地盤が弱いので、基礎を後100m深く掘らなくては、地震があったときに崩れる。
そのためには1軒100万円を余分に出して頂かなければなりませんといいました。
地震があるという予測はありません。
関西の方は地震が少なく、阪神淡路大震災があるまで、地震はないと思っていました。
関西で震度3~4では大変だと慌てますが、関東は震度3~4はしょっちゅうです。
従って夜ですと私は地震か、眠たいのでもうすこし寝るといった具合です。
従ってあるかないか予想できない地震対策に100万円を更に出すということは、大変な負担であったと思います。
設計士の良心とでもいうのでしょうか、もし何かあったら持ちませんので、基礎をしっかりさせて下さいと彼は1軒1軒説いて廻ったのです。全員が説得に応じて工事がなされました。そして大震災ではびくともしなかったのです。
そうなってあの方のいったことは本当であったと確認できました。
その設計士の方にはこうしなければならないという源が合ったのですね。
私達も相手を救うぞという源があるかです。
源がないので1~2年やってもできない。3~4年やってもできない。そうすると私達は止めてしまいます。それはご本尊様さまと出会ったことがあるかどうかです。源であるご本尊様からエネルギーをもらいながら長くかかっても、できるまで努力して行くのだと思います。

8) 和歌山県紀南教会の千巻経

和歌山県御坊市に紀南教会があります。
何か不幸や困ったことがあると観音経1巻と般若心経を千巻あげる「千巻経」を実施するようにしています。100人集まれば1人心経10巻で千巻上げたことになります。
ある方のために祈る「千巻経お願いします」という通知が連絡網を通して各信者さん宅に連絡されます。
ある台風が来る時期に実家に帰ったときに千巻経の連絡があり、母と出かけました。途中2回台風で停電しましたが、読経は中断せず行われました。
隣に1時間半かけてやってきた印南さんがおられました。
あの方はご主人が千巻経で救われたので、自分
が来れるときはいつもバイクを飛ばして来ているよと言いました。
紀南教会は何年か前ですが、500何人助かっているという記録を持っています。
ですから日高の信者さんは、何かあったら千巻経をやってもらえば助かるんだと信じています。
これが私の言う源です。
この千巻経のようにこうすれば必ず助かるという源になるものを持っていなければなりません。
ですから自分には源があるのか、出会えるか、出会える信仰をしているかを問うところから振り返って見ることが、私は大事ではないかと思います。

9) 慈悲は自分の意志であると思ってください

慈悲というのは皆様方の意志であると思ってください。助けたい。
救わずにはおられない。
助かるはずだという強い意志が、私達の慈悲心をご本尊様のまたお宗祖さまの慈悲の心に近づけるのです。

by nohara4241 | 2007-09-10 17:10 | 法話水の章