19年水の章19講法話NO1

19年1月6日(土) 水の章19講 NO1 TK師の法話
(編集項目:ブログ者)
NO1
1 人日の節句が1月7日で七草がゆを食べます。
2 年の初めの目標
3 始めに
4 水の章とは
5 私の信条は一寸先は光です
6 らしく生きる
7 天上天下唯我独尊
8 上に石や小砂利を置くことが、上を尊び感謝を現す行いなり。(49)
⑴ 自分の位置
⑵ 自分の位置を知ってスタートする。
⑶ 前回、石や小砂利を置くと流れが清らかになると教えられました。
⑷ 神を尊ぶための石や小砂利を置く行為の心は、感謝の心です。
NO2
9 上が清まれば下も清まるなり。(49)
⑴ 上が清まるとは上が幸せになることです
⑵ 回りのあらゆる出来事を自分に起きたことと考えることのできる心
⑶ 一捨一得
⑷ 臨済宗の白隠さんの「そうか」で始まり「そうか」で終わった話し
⑸ 不離一体
10 己を清めんとて、手元に石を置きても、上の流れ汚れおれば、汚れはまた己に流れくるなり(50)
⑴ 己を清めんとて、手元に石を置きてもとは
⑵ 上に対するみちびきの関係
⑶ 感謝の心で上のお世話をする
⑷ 苦手な相手出来事にはどうすればよいか
⑸ 自分を捨ててご本尊様のお働きを意味を考える
⑹ 苦手なことに挑戦しましょう。





1 人日の節句が1月7日で七草がゆを食べます。

皆様方は、明日1月7日に七草がゆを作られますか、作られる方は手を挙げてください。1月15日は小豆がゆですね。この1年を皆様方日本にあります。伝統的な行事をご家庭で行われたらよいと思っています。どうして七草をするかご存じですか。明日7日はお節句なのです。ご存じですか。人日の節句です。私は忘れましたが1日の元旦から動物の日が続き7日が人間の日になるのです。それで人日の節句とされたようです。3月3日、5月5日、7月7日、9月9日と日と月が重なっていますが1月だけ重なってないのです。
お節句の料理として七草がゆを作るのですね、七草の名前をご存じですか。
① 芹(せり)-------川辺・湿地に生える。
② 薺(なずな)------ペンペン草。
③ 御形(ごぎょう)----母子草。
④ 繁縷(はこべら)----小さい白い花。「はこべ」。
⑤ 仏の座(ほとけのざ)--正しくは田平子(たびらこ)。
⑥ 菘(すずな)------蕪(かぶ)。
⑦ 蘿蔔(すずしろ)----大根。
お正月から色んなものを食べ、お腹が疲れているので休める意味があるのでしょうね。七草をいただくのですが3月3日の節句は、元もと上巳(じょうし)の節句といいます。(新暦ですから)今は違いますが、3月の最初の巳の日が上巳と呼ばれ節句になっていたのですね。若菜を摘む、草花を踏んだり、摘んでみたりして邪気を払っていたみたいです。人日の節句の七草にもそのような邪気を払う意味があって、人間の力の及ばないものに対して、その影響から逃れようとしたみたいですね。
1月15日の小豆がゆも同じような意味で、赤色は悪いものをやっつける意味があったようです。ですから赤い豆を使うといわれています。やっていることは今の時代に合うかどうか分かりませんが、先人達がそのようなことで、人間が自然界で生きてゆく智慧も見つけられたとのはすごいことだなと思っています。今年は皆さんが、日本にある伝統行事にご参加いただけたらなと思っています。どうぞ、明日の7日には七草がゆを作って、15日には小豆がゆを作ってください。

2 年の初めの目標

皆様方は年の初めで何か、目標を立てられましたか。私は今年は今年は具体的にしよう。丁寧にしようと目標を立てました。座布団がここに置いてありますでしょう。座布団の三方には縫い目が入っているのです。一方には縫い目がありません。管長さんがパッと座布団をかえている時がありますが、それは座布団の前を決めているのです。縫い目のない方を前に出します。その意味が何か分かっていませんが、決まったことを丁寧にやりたいなと思っております。お祈りも、ご先祖の供養も丁寧にしたいと思っております。

3 始めに

去年の19講が如意寺での初めてのお運び講師でした。それまでは東京別院でやっていました。ノートを見ますとですから自己紹介と書いてありました。そして水の章とはこんな事ですと説明しました。これは毎年やっていることですのでこれからは入ります。これを聞いていただいてから19講に入りたいと思っています。

4 水の章とは

水の章という教えは、人間がつくたのではなく、弁天さまの方から、お宗祖様に対して12日間に渡って毎晩毎晩お話があったといわれています。それは当初、水のお諭しといわれていました。それをまとめたものが水の章です。ご本尊様からお宗祖様へ、お宗祖様から私たちへ伝わりましたが、ご本尊様がお説きになられた教えなのですね。どんなことが中心かといいますと「水の心」なのですが、水の心を心としなさい、水の心あるところ弁才天はそなたとともにあって現世苦行を滅するといわれています。「水の心を身につける」ということが一番の目標なのですが、具体的にいいますと、心を磨き、徳を積むそういう生き方することなのです。そうすると水の心でどうなるかと申しますと、ご本尊様のお働きをいただくことができるのだろうと思います。心を磨き、徳を積むことは水の心を身につけることと同じでありますから、水の心はご本尊様の心です。従ってご本尊様の心を何時も自分の心として生きているということは、何時でもどこでも、ご本尊様のお力を自分は感じることができる。どんなことが起きてきても、ケガをしても、嫌なことが起きても、この中にご本尊さまがいらっしゃると私のためにこうしてくださったのだなと自分の中の水の心がご本尊さまと反応し合います。そんことだろうなと私は思っているのです。

5 私の信条は一寸先は光です

ご本尊さまと一緒でありますから、私の信条ですが、私は一寸先は光だと思っているのです。闇ではないと思っているのです。何時もご本尊さまの心が身に付くように拝んでいたら、何時でも一緒ですから一寸先は光なのです。もうすこし今風な言い方をしますと、私たちは、なのために生まれ、どう生きたらいいか。人間の生きる目的を学ばしてもらうのが水の章だと私は思っています。このためにご本尊さまはお宗祖様を通して人はこうゆう風に生きて行くことが大事だよ。自分も相手もみんなも幸せになって行くと教えてくださるのが水の章ではないかと私は考えているのです。

6 らしく生きる

なんのためにどう生きて行けばいいか。この生き方は当に、お宗祖様の言葉を借りますとお宗祖様は「らしく」とおっしゃったといわれています。それは、女性は女性らしく、男性は男性らしく、奥様は奥様らしく、主人は主人らしく、らしくあれとおっしゃった。私たちは皆個性的でありますから、顔かたちが違いますように人生も生き方も違います。自分らしい生き方はご本尊さまはお示しになると私は思っています。自分らしいということは3~4年前に流行ったスマップが歌いました「世界に一つだけの花」と同じです。ナンバーワンよりオンリーワンといいました自分らしい人生を提供してくださいます。人と違って当たり前、皆さん自分らしい人生を歩んでください。その自分らしい人生を歩む道があるのです。けして人と比べる必要はありません。自分は自分の人生を見据えて行く道をこの水の章は説いてくださっているのだと思います。今日は19講ですが何講を受講しても心の片隅に「らしい」というこのことを置いて頂きたいと思います。水の心を身につけて頂く、そして水の心を身につけるとどんなことになってもご本尊さまのお働きを感じることができる。何時もご本尊さまと一緒なのです。一緒に自分は今ここにいるのだということを念じますと、理解しましと、または悟りますと私は一寸先は光だと思えるのです。

7 天上天下唯我独尊

それは私たちに人間がどういう生き方をしたらいいのかという一番根源的なことを、示唆してくださっていると考えます。当に生きる目的を自分の人生の中から学んで行けると思います。けして人と同じとはいいません。お釈迦様が生まれて7歩あるいて言ったという「天上天下唯我独尊」この世界の中で自分が一番尊いとおっしゃったのですが、この言葉はそのまま皆さん方に当てはまるのです。お釈迦様が言われましたがお釈迦様自身のみのことではなく全員に当てはまる言葉なのです。みんなすばらしい人間としての価値を持っているということですね。私はこの境地に到達することができると思っていますので、これらを目標に置いて頑張って行きたいと思っています。

8 上に石や小砂利を置くことが、上を尊び感謝を現す行いなり。(49)

⑴ 自分の位置

幾らあなたのお陰で、ご先祖のお陰で、○○さんのお陰でという言葉を言って、感謝の心ももっているのだけれど、その感謝の言葉が相手の喜びにつながって行くかは、行いに現して始めて確認できると言うことでしょう。
ですから、ここで大事なことは、この言葉に行きます前に、まず一番大事なことは、自分の位置をもう一度確認することから始めることだと思います。
水の章では、上と下を作り、上は自分以外のすべてのもので、年齢など関係なく相手、社会、先祖等です。どんな存在かと言いますと、水は上から下に流れるという流れの中で、自分は1人で生きているのではなくて、自分以外のすべての上といわれる方々等の支えによって生きている。
1つは、まず生かされているという存在であるという自分の位置であります。1人で生きているのではなくて沢山の方々の力・支えで生かされているということをまず確認することが大事であると思います。2つ目は、沢山の方の支えで自分は生かされているのですが、この沢山の方々の中には自分に好まし方ばかりではなく、水の流れの表現では汚れもやってくる位置に自分はあるのです。皆さんによって生かされているのでありますが、生かされている中には、都合の良いことや都合の悪いことも起こってくる。そういう風な自分の存在をスタートラインにすることが大事であると私は思います。

⑵ 自分の位置を知ってスタートする。

自分の位置は沢山の方々により生かされている存在である。もう一つは良いことばかりが起きてこない現実があります。この2つのところから出発して、少しでも喜びが広がって行くようにする。そんな状態の中から喜びを見いだして行く生き方を私たちはこれから見つけて行くのです。この様に都合の良い中からの出発ではなく、生かされているが不遇な不幸な現状からスタートしてどうすれば幸せを、喜びを見いだせるかと考え工夫することがまず大事であると思います。

⑶ 前回、石や小砂利を置くと流れが清らかになると教えられました。

そうしますとこうなります。上から流れてくる流れを幸せな、喜びの流れに変えるには、「流れ流れ来たる上に石や小砂利を置くべし」と教えられていますので、私たちには石や小砂利を置く行為をすることを求められているのです。石や小砂利は何かと申しますと以前説明しましたろ過装置です。汚れた水をきれいにする方法としてのろ過装置です。ろ過の装置を通ると汚れた水がきれいになって、下である私たちに幸せや喜びの水となって流れてきます。
色んな出会い・出来事に対して石や小砂利を置けば、流れを変えることができると教えられました。石や小砂利はろ過装置ですが、何かといいますと感謝の気持ちのこもった色々な行いであります。従いました出合ってきたことに対して、相手であろうと社会の出来事であろうと先祖の因縁であろうとそれに対して感謝の心のこもった石や小砂利である行いをすることです。その行為が不都合な汚れた出来事を喜びに変える力ではないかなと私は思っています。もしかすると行いは、時には感謝の心のこもった供養であったり、御奉仕であったりとかいたします。こうゆう風なことを通して私たちにやってくる流れを変えようとしているのです。ただ喜びに変える生き方、喜びを生み出して行く生き方をここでしっかり掴んでおくことが大切かなぁと思っています。

⑷ 神を尊ぶための石や小砂利を置く行為の心は、感謝の心です。

ポイントは、この出会いや出来事に感謝の心で出合うということが大事なのです。感謝で接するということでも結構です。それが幸せや喜びを見いだして行く生き方の道であります。私は、出会い・出来事に対して感謝の心で、出合って行くことは、私たちの人生の基本であります相手を生かして自分を生かす創造的な生き方につながって行くと思っています。大調和と表現することもあります。つまり自分がどんなものと出合おうとも、相手を生かして自分を生かす、双方とも生かすことのできるための基本は、感謝の心で出合うことです。どんな不遇な状況でも、境遇でもこの感謝の心で相手に尽くし、供養し、奉仕するとサーと光が指してまいります。皆さん方辛いところではほとんど、笑顔も感謝もでてきません。ところが辛い出会い・出来事の感謝の心で接して行動する努力をしますと必ず時間がたてば光が指してまいります。私は相手を生かし自分を生かすこの創造的生き方がキーポイントでありますから今日はまず心に留めて頂きたいと思います。この心と行為の努力が新しいものを生み出しているのです。流れを変えているのです。汚れをきれいな清水にしているのです。
この相手や自分を変える創造的な生き方は、行為のベースに感謝の心を置くことが必要です。後は時間がたてば汚れた流れが、幸せに喜びの流れに変わってくるのです。
ここでは、上に石や小砂利を置くが、上に感謝し尊ぶ行いですと教えてくださっているのです。

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by nohara4241 | 2008-01-05 16:29 | 法話水の章