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護摩木の書き方、心経石等

18年4月 護摩木の書き方、心経石等  講師法話

護摩木の書き方、お祈りの仕方、お受け取り祈願、引越し、入居先のお祓い、カスガイ、心経石、支部長さんの護摩木奉仕と支部信者の護摩木等教えられることが多いので、講師のお話を、教区新聞(3回)に掲載された講師の体験談から転記しています。
(編集項目:ブログ者)
1 お宗祖様との出会と父の功徳のおかげ
2 お宗祖様の御神示と広い家
3 1本の護摩木
4 願いが叶って家を取得
5 お寺の新居お祓い
6 管長様夫婦のご訪問
7 お宗祖様お奉りの弁天さん




1 お宗祖様との出会と父の功徳のおかげ

農家の父は他人の面倒見がよく、他人のお世話をよくさせてもらっていたようです。
村から100人ほど兵隊として参加し25・6人が戦死し、終戦後その方々の残され母子家庭のお世話をさせてもらっていたようです。
父が病気になりお宗祖様とご縁を結びましたが、お宗祖様から手遅れで手の施しようがない残念やなと言われ父はなくなりましたが、その後お宗祖様に可愛がられました。
私も母子家庭でお金がないのに大学も機械科へ行けと言われ、探して近大に入学しました。
不思議に学校から9月頃事務方として働いてくれと言われ、勉強のために入学したのにと思いつつ手伝っていますと翌年2月には職員待遇にするということで給料をもらい学費に困らなくなり卒業できました。
すべて父が他人に尽くした徳が、ご本尊様お宗祖様のお計らいで私達子供におかげとなって帰ってきたと思っています。

2 お宗祖様の御神示と広い家

私の結婚式の晩酌人はお宗祖様で、冥應寺の本殿で上げ、第1世管長様を右端にお宗祖様を左端にして親族一同で写真を撮りました。
この式の20分前にお宗祖様が本殿で、「政一さん。おめでとう。家見つかった?」と尋ねていただき、私は「ハイお陰様でよい家が見つかりました。」とお答えしますと、お宗祖様は「よかったね私それを心配していたの。」といって頂きました。
その後、師走に入りお宗祖様にまたお目にかかることができました。
「ゆくゆくは大きなお家に入れるよ。」と言ってくださいました。
それから1年2ヵ月余りでお宗祖様はご遷神されました。
私はその後遠縁の村本建設に入社しましたが、入社の承諾もしていないのに副社長から「帰ってこい。」と言われ会社に顔を出すと、副社長は待っていたかのように部長に「○○が入社するので社宅を用意してやれ。」と命令し、その日のうちに奈良県高田市内で社宅として住宅1戸を貸してくれました。
入社して2年ほどしたときに従姉妹の社長夫人から住まいを聞かれ、「会社の近くの社宅に入ったらいいのに。」と言われました。
社長に言ったのでしょう2階建ての社宅に転居しました。
それから数年後副社長は西大和ニュータウンに豪邸を建て引っ越しました。
1年ほど旧宅は空き家でしたが、副社長から「○○を西大和ニュータウンの建て売り住宅に入れようと思ったが旧宅に入れ。」と言われました。
副社長の旧宅は複数の役員が借用を申し込んでいましたので、断りましたが強引に命ぜられ入居しました。
後日副社長の親友の方から「副社長が、○○が入ってくれたと喜んでいた。」と言うことを聞かされ感謝しました。
旧宅は間取りの大きな古家ですが1尺2寸の大黒柱や2尺幅の梁など丈夫な木材を使った家で、屋敷も広く裏に120坪の空き地があり1部で野菜を作りました。
お宗祖様がご生前「大きな家に入れるよ。」と言ってくださったのがこの家だなと思いました。
副社長から「何時までも入っているように。」といわれ17年住まわせてもらいました。
社長は会長に、副社長は社長に昇格しましたが、会社は平成5年11月5900億の負債を抱え倒産しました。
家には銀行の抵当権が付き、名義は別会社のものになったまま住んでいましたが、平成14年の4月社長から「○○よ悪いけど3年の間に家を空けて欲しい。」と言われ、畳2間続きを希望して折り込み広告を見ましたが、なかなか希望に添う家がありませんでした。

3 1本の護摩木

平成15年今年くらいで家を決めようと春季大祭の護摩木に祈りを込めて2行で「私にあう家を与えてください。」と書き、祭壇の前で心経を繰って護摩木に願いを託しました。
毎回2本書かせてもらっていますが今年は家のお願いがあり3本にしました。
支部の方々の護摩木も集め1週間前に奈良五条市如意寺に納めました。
教区の団参日は13日でお参りし午後はお護摩の焚き上げのご奉仕に参加しました。
総裁様(第2世管長様奥様)が3度程(柄の短い)錫杖を振り丹念にお祓いして頂いた護摩木を頂きますが、4度目に総裁様から頂いた護摩木7本を左手の平に下に4本上に3本重ね、まず上の1本1本を焚かせて頂き、下の4本に目をやると左端に自分お願いを込めて書いた1本が目に入りました。
有り難い願いを適えて頂けるご本尊様ご宗祖様がご守護下さると確信した。
自分の願いの護摩木を有り難くも自分で焚かせて頂くということになりました。
それからは新聞の折り込み広告で中古物件に目を通す日が多くなり6月頃ある物件が目にとまりました。
1階和室2間続きが見つかり福屋工務店に足を運び、その後も2つ物件を見せてもらいましたがもう1つ物足りないといったところでした。

4 願いが叶って家を取得

7月末になって、工務店から電話があり「○○さんだったら気に入って頂ける。」とのことでした。
そして後日午後4時頃近鉄の忍海駅前であって、工務店の方の先導で葛城山麓の方に2・3分走って車から降り、「見て頂いてよければ話を進めたい。」と言われ、家の中にはいると2階までが吹き抜けで18年経っているということでしたがきれいに使ってありました。
「給湯器、洗面器、畳は替えさせていただきます。又障子も張り替えます。気付いたところがあれば言ってください替えさせていただきます。」を言っていただき、家内が大変気に入った様子なので話を進めることにしました。
8月初めに手付け金を支払い残金を8月末の支払いすることにし、売り主の方ともお会いしましたが、共稼ぎで家は夜帰ってきて寝るだけだったそうで、外回りの植木はよければ差し上げますといってくださいました。
間取は下が床の間付き6畳2間と10畳の和室4畳半の板の間で、2階の3間は洋室です。
管長様にお受け取り(祈願)をしていただく時間的余裕がなく決めましたが裏鬼門が気になり方除けだけはしました。

5 如意寺の新居お祓い

9月には奈良五条市如意寺からお祓いに来ていただき隅々まで丁寧にお祓いをしていただき、カスガイ(鎹)と水引の掛かった10センチ角程の重い心経石を置いて行ってくださいました。
鎹は棟木に取り付けましたが、水引の掛かった心経石は床の間に置いていました。
(講師さんは決心信者さんで仏壇の代わりに祭壇をお持ちです。)
仏間に祭壇を入れるために仏間の正面を計るとふすまで祭壇より3センチほど狭く、ふすまを取り除くと3センチの余裕がでるので工務店に電話をして取り除いてもらいました。
そのとき、仏間の床が傾いていることに気付き床を一度取り外すことになりこの時にスコップで床の下を掘り心経石を地中に埋めることができました。
(ブログ者:神戸教区のある支部所属時、支部長様に自分のご祈願の護摩木を焚き上げてもらうと、祈願が適う場合と災難が及ぶ場合があるという言い伝えがあり、ある支部の支部長さんが末子の護摩木を手にされ、過去に1度ありその信者さんは交通事故にあったので今年は何事も注意した方がよいといわれましたが、末子は運良く腹膜炎にならずに済んだ盲腸の手術を無事に受け、早期快復の大祈願と家族でのお祈り護摩の灰のお世話になりました。)
その後掃除し、物を置く場所を定め、9月28日の大安日に引っ越しました。
まず1番最初にご分身を仏間に納めさせていただき、今勤めている会社の人の手を借り昼過ぎまでに終わることができました。
挨拶回りを済ませ毎日後片づけにおわれましたが3日後から私は勤めにでました。

6 管長様夫婦のご訪問

10月15日奈良五条市如意寺に家内がお参りに行って帰宅すると午後2時半頃「これから管長様ご夫婦がお伺いします。」と如意寺から電話があり、突然のことで家内はとまどい慌てるだけで何も手をつけることができないでいますと午後3時頃管長様が車で来られ、「○○君のお城を見に来た。」とおっしゃって来宅されました。
上がっていただきご本尊様お宗祖様にお参りされ、床の間の第1世管長様の掛け軸を見て頂き、総裁様から引越しのねぎらいの言葉をいただきました。
このことを帰宅して知りびっくりしました。
この家を買うために管長様の(家相・方位等の)お受け取り(祈願)をしていませんので、お宗祖様が家相や方位などを見てきてやりなさいと管長様を差し向けてくださったのではないかと思っています。
自宅の前は8メートル道路ですが通る車は少なく静かですし、向かいは児童公園になっています。

7 お宗祖様お奉りの弁天さん

公園の奥に小高い山があり、その麓には自宅から100メートルほどですが弁才天様を祀った祠があります。
その弁才天様はお宗祖様がお奉りしなさいとおっしゃったと聞いています。
この山の持ち主は御所教区の信者さんで毎日お参りしお水を替えられているようです。
毎年、年初めには御所教区の信者さんが多数お参りされということで私も週に1度はお参りさせていただいています。
顧みますとご本尊様ご宗祖様のお計らいによる願いを託した護摩木を自分で焚かせていただき、管長様のお受け取り(祈願)をする時間的余裕もないままトントン拍子に希望以上の家が手に入れることができ、又奈良五条市如意寺から頂いた心経石も地中に埋めることができました。
そして引越し後始めてのお客さんが管長様ご夫妻でした。
そして近くに弁才天様をお奉りしてある祠のある場所来たのはご本尊様ご宗祖様のお導きでありましょう。